望診講座68 「気を感じる指頭感覚のつくりかた」

目安時間4分

まずは、いただいたご質問に回答させていただきます。

 

(質問)

初めて質問します。

 

電池の練習では、不安定な感じなのですがプラス、マイナス方向に指が動く感覚がなんとなくわかるようになりました。

 

右手の人差し指、中指を使いますが、指先というよりも腕もしくは上半身の右手側全体で動くような感じがします。

こんな感覚で正しいでしょうか。

 

また、磁石のプラス、マイナスを判別する感覚や指が動く(?)ということはまだ良く分かりません。

 

始原東洋医学(潜象界からの診療)の書籍は以前から興味があって所有していました。

 

ただ、読んでもイメージが掴めず、ほとんど理解できないため何年もそのままにしてありました。今回、気流診マスター講座のビデオを拝見して、具体的なイメージが掴めるようになり、書籍の内容が良く理解できるようになりました。

 

古式整体の講座の方は、電池の練習の方でなかなか進歩がないため、後回しになってしまい、歩みは遅々としてなかなか進まないのですが、多少遅れてもあきらめずに学習していきたいと思います。

 

 

(回答)

まずはお役に立てているようで、非常に嬉しく思います。こちらこそ御礼をいわせていただきます。

 

さて回答ですが、電池練習の感覚は初期段階としては、それで良いと思います。練習参加者の多くの方が、その過程を経験されていますので。

 

しかし、もう少し練習が進むと、腕や指先の感覚というより、胸のあたりでなんとなく気持ちが悪い、とか全身で違和感を感じる、とか、「なんとなく」という違和感が主体になっていきます。

 

その段階だと、望診も多少なりとできるようになってくると思います。

指先で感じる現段階でも反応点(施術点、多くは経穴)の選定は可能なため、治療に応用できる段階かと思います。

 

追記

(質問)

 

無料講座の動画を拝見させていただきました。そこで質問なのですが、切診のときに患者の体から手(指)を離れた状態でツボを探って(?)いますよね。

 

通常の診察なら皮膚の状態や筋肉のコリを確かめるために体から手を放した状態で切診することはありえないと思うのですが、これはなぜですか?

 

(回答)

この動画が気の感知のみに絞って講義されているためです。

 

おっしゃるとおり、通常は患者の体の状態(筋肉や骨格)を確認するためにちゃんと触診します。

 

で、気の感知のためになぜ手を離すかと言いますと、余計な情報を手に入力しないためです。

 

触覚情報はかなり強力な情報なので、それに邪魔されて気の感知能力が鈍るからです。だから純粋な気の情報のみを感知するために少し手を離した状態で切診しています。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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