望診講座69 「望診時の胸の感覚の重要性」

目安時間4分

今回もご質問への回答です。

 

ですが、とっても重要な質問でしたので、全員でシェアしたいと思います。

 

(質問)

気滞を感知するのは胸だということですが、胸のざわつき、なんとなく胸の重苦しさを感じるのが、その感覚でしょうか?

 

(回答)

これは正規受講者の方への教材では動画の中で回答させていただいているのですが、一般の方からの質問です。

 

さて、答えから言いますが、それは違います。

 

胸で感知すると言いましたが、胸の感覚そのものではなくて、気滞を感じるのはあくまで、対象物(患者)の体そのものです。

 

これは偽反応とよく間違います。術者の体が自然体でない状態(コリや歪みがあったり、発病している場合など)には自分の体調不良を感じ取っている場合も似たような感覚がでます。

 

対象物との一体感は必要ですが、気滞を感じ取るのはあくまで対象物(患者)そのものです。

 

また、そうしないと患者の気に同調しすぎてしまいます。つまり「病気をもらってしまう」ことになりかねません。

 

気滞と経絡との違い

ところで、この望診で感知している気滞、胸の感覚で感知してる気滞と経絡は同じものですか?というコメントもいただいております。

 

当会では現時点では区別しております。

 

気滞はなんらかの病変が生じた結果、自然治癒力が阻害されている箇所、その部位からの情報発信です。

経絡はその気滞解消のためのルートと特異点(ツボ・経穴)です。

 

気滞=経穴・経絡ではありません。

 

経絡ってあるんですか?

すると次のような質問をいただきました。

 

とてもシンプルな質問で、「経絡ってあるんですか?」という一言だけでしたが、以下、回答です。

 

経絡はなんらかの形で存在する情報系のシステムだと考えられます。

 

情報系ですから、物質ではありません。ではそう言い切ってよいのか?ということですが、現時点ではそうとしか考えられません。

 

なんらかの物質(気)ではないのか?という先生もおられますが、そう考えると遠隔望診や、写真でも望診が可能な理屈が分からなくなります。

 

次に既存の経絡図ですが、これはあくまで目安だと思っています。

 

なんらかの病変に対してそれを解消するべく現れる経絡と経穴(反応点)の出現率の高いものを表したのが現在の経絡図、経穴図だと考えています。

 

ですから実際の施術においては経穴図どおりの取穴ではだめな場合もあるでしょうし、経絡に沿って鍼をする、といっても既存の経絡図に従わない場合も出てくると思います。

 

それから、繰り返しになりますが、経絡学説というのは、ある現象に対しての仮説です。あくまで仮説です。念のため。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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