死に際の気滞
先日、叔父の死に立ち会う機会がありました。
84歳でした。
かなりお世話になった方なので、葬儀も最後までお見送りさせていただきました。
その死に際して、不謹慎かと思いましたが、よい機会だと考え、望診をさせてもらったんです。
すると気滞はまったく無いんですね。
突然倒れて、意識不明。病名は脳出血だったのですが、どこにも気滞はない。
ただ、通常なら頭頂部から抜けていくはずの気の流れも無い。
百会(頭頂部にある経穴の一つ)あたりに蓋がされているような感じで、気が通じていない。
これは、ダメなのではないか、と感じました。
倒れてからわずか3か目、亡くなったと連絡が入りました。
気が通じなくなる、これが人の死なんだろうかと、しみじみ感じた次第です。
もちろん、いろいろな例をみないとわかりません。
かつて有川先生は、ある患者さんを望診して、気の流れが頭頂部ではなく、体の横のほうに流れている、これは重症で長くないのではないかと思ったが、予想外に回復した、といわれたことがありました。
単純に1例だけではなんとも言えませんが、不思議なものを感じたように思いました。
人と東洋医学
人は人として生まれてきます。
そして成長するに従ってますます人間になっていく。
人になるということは別な言い方をすれば自然から離れていくということかもしれない、と考えたこともあります。
でも人は自然の産物であり自然そのものなんです。
だから本来は人は成長とともに自然に環らなければならないのだと思います。
人と自然との関わりが希薄になりつつある現代、東洋医学は重要な役割を負っているのではないでしょうか?
僅かなことしかできませんが、望診治療の実践によって人の体に少しでも自然を取り戻せたら良いなと感じています。
無限の広がりを見せる「見えない世界、東洋医学」
これからもずっと探求していくだろうと思います。
どこまで行けるかは判りませんが、一歩でも前進していきたい。
見えない世界は、見える世界(自然科学)と対をなしている世界であるから、実は東洋医学を本当に理解するためには現代医学をしっかり理解する必要があるだろうと思ってるんです。
だから今の鍼灸学校の現代医学よりのカリキュラムがあながち間違った方向に進んでいるとも思っていません。
なので、鍼灸師や東洋医学信奉者の中には現代医学を悪く言う方々がいますが、それは違うと思ってます。
両者があって、一つだと。
気や経絡は見えない世界
ただ、気の世界は科学的な計測ができていない。
「気や経絡が科学的に証明されれば、それが何百年後か何千年後かはわからないが、東洋医学の理論が正かった事が分かるだろう」
こんな風に言う人もいるが、私は永遠に解明されることはないと思っています。
見える世界(自然科学)が広がり(発達)をみせれば、そのぶんだけ見えない世界も広がるから。
それこそ陰と陽のように。
宇宙がひとつの例ではないでしょうか。
観測技術が進歩すればするほど宇宙は広がりを見せます。
古代の人々の世界観、宇宙観とは比べ物にならないくらいに果てしない広がりを見せています。
仮に全てが科学で解明されてしまったら、それは極陽(陰)になると言う事ではないのかと。
極まれば…その先にはなにがあるのでしょうか。
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