望診講座87 「始原東洋医学は気滞を消去する医学」

目安時間5分

さて、本日はご質問への回答です。

 

(質問)

私は長い間、気滯を解消する意識でマッサージで治療してきましたがなかなか治す治療ができず慰安治療で終わっていたのですが、
最近経絡治療の勉強するようになり、湿痰、瘀血、とくに瘀血を意識して治療するようになり治療効果がでるようになりました。

 

経絡治療の勉強するまでは、気滯の知識しかありませんでした。

 

現在は触診で瘀血を探していますが、古伝望診法で瘀血や治療点がわかればと興味を持っています。

 

私なりに遠くを見るように望診してみると経絡の停滞している箇所がわかるのですが、
触診と一致していないためやり方が間違っているのだと思っています。

 

(回答)

まず、間違いではないと思いますよ。

 

お血治療はどちらかというと現象界での対処療法です。

 

ですから湿、お血の位置(治療点)と望診による気滞の位置が一致しないということは普通にあります。

 

ただし、これは東洋医学の不備ではありません。

 

もともと東洋医学は現象界、潜象界どちらの治療にも対応した構成となっています。

 

ですから、私はどちらか一方にかたよるのは片手落ちだと考えています。

 

さて、みなさんにどうしても読んでいただきたい、望診術の参考書をご紹介させていただきます。

 

 


「始原東洋医学」 有川貞清著 高城書房

有川先生はすでにお亡くなりになっていますので、いまはもう書籍でしか学べません。

しかし、読み返すたびにヒントがみつかり、

迷った時に読むと、必ず答えがみつかります。

 

ぜひともご購入ください。

 

ではまた。

 

追記 気滞消去はどんな疾患にも効果があるのか?

「気滞の調整はどんな病気に有効なのでしょうか?得意疾患などはありますか」というご質問をいただきました。

 

これもまとめサイトをつくっていないがための質問ですね(すみません)。

 

気滞治療(経絡治療)が有効なのは気滞がある場合のみです。

 

その場合は具体的な疾患名にはこだわりません。

 

唯一の例外は癌でしょうか。

 

古くからの読者さんはご存知でしょうが、症状があっても気滞が無い場合もあるんです。

 

その場合は気滞治療の対象となりません。

 

気滞が無い場合のほとんどは、症状はあるが、すでに自然治癒のベースに乗っていて、

極論すれば放置してもスムーズに治癒に向かうケースです。

 

その他、老化によるもの、すでに症状が固定されているもの(変形治癒など)、

そういったものには症状(不具合)はあっても気滞が無いケースが多々みられます。

 

 

※正規受講者の方へ

数名の方は積極的に練習されているのでしょう、ご質問もかなり頻繁にきます。

 

その甲斐あってか、数か月~半年くらいで気を感知する「手」を修得し、2~3名の方は望診もマスターしつつあります。

 

せっかく受講料を払って参加されているのですから、どんどん練習し、質問をください。

 

気の感知能力は誰もが持つ原初感覚です。練習すれば必ずなんらかの手ごたえはあるかと思います。

 

実践あるのみです!

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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