望診講座91 「治療家の手を作ることについての質問1」

目安時間5分

良い脈とは平脈であるらしい。

 

本当にそうだろうか?

 

以前に脈を川の流れに例えた。

 

本当に良い脈とは減っていた川の水量がもとの量にまで回復することだろう。

 

つまり自然な状態に、ということだ。

 

決して一律な平脈になることではないと思う。

 

実際の施術では、四診合算で証決定をする。

 

そこでなんらかの処置をする。その処置が正しかったかどうか、効果をだせているかどうかを脈を診て判断する。

 

脈を川に例えれば、川に大きな石を投げ込んでも大きく波打ち一瞬、水量が増したかに見える。

 

でも、本当に水量がもとに戻っているわけではないから、すぐまた減ってしまう。

 

つまりもとの悪い脈になってしまう。

そんな状態を鍼の効果がもたない、と表現する人もいるが、じつはちょっと石ころを投げ込んでひっかきまわしただけで、本当の効果をだしているわけではない。

 

さて、正直に言うが、私自身も石ころを投げてひっかきまわしただけなのか、本当に水量が回復しているのかは、脈を診ただけでは判断できない。

 

脈だけでも判断が可能な達人もおられるのかもしれないが、私はそんな人を見たことはない。

 

また、自分のめざすところでもない。

 

なぜなら、望診で気をダイレクトに見たほうが早いからだ。

 

私が目指すのは古流望診法の達人である。

 

そのためにはまず、「治療家の手」をつくらなければならない。

 

治療家の手をつくることについての質問

(質問)

 

片方の手に磁石のプラスを持って、もう片方の手の指先をマイナスの方向にもっていくと、抵抗のような物を感じるのでしょうか?

 

(回答)

 

そのように感じるまで、練習しなければなりません。

「そよのうに」というのは条件反射的にという意味ではありません。

 

実際にプラス磁性のものを探そうという意念を投入しておこない、さらに磁石で磁性を持たせておこなうのですから、本当に体がプラスの磁性を感知するまで訓練するということです。

必ずできますので、やってみてください。

 

(質問)

 

電池の回路を使った練習に取り組んでいます。

マイナスからプラスに行く流れが正常の気の流れなのでしょうか?プラスからマイナスに行く流れは逆の流れだから違和感として感じるのですか?

 

(回答)

 

ご質問ありがとうございます。

非常に混乱しやすいですよね。

 

電流は+から-に流れます。でも電子は+方向に流れるんですよね。なので、それで正解だと思います。

ただ、練習の時は磁石を持って自分の指先に磁性をもたせたうえで練習します。

 

なぜならプラスの反応点、マイナスの反応点を自在に見つけなければならないからです。

 

実際の練習では片方の手に磁石(小学校の理科で使うようなもので十分)のプラスを持った時にもう片方の手の指先がプラスの電極に、マイナスを持った時にはマイナス電極に引かれるようになるまで練習します。

 

それができるようになると、すでに実際の人体でも治療点の判別ができるようになり、それだけで治療が可能になります。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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