望診講座92 「治療家の手をつくることについての質問2」

目安時間5分

手で感じる気の感覚について

一般受講者さんからのご質問です。

 

(質問)

 

気の流れを手(指先)で感じようとすると、ビリビリする感覚、磁石のように引き合ったり、逆に反発する感覚、そこだけ冷たくひやっとする感覚、逆に熱く感じることもあり、どの感覚が正しいのでしょうか。

 

(回答)

 

どれも正しいとも言えますし、間違いとも言えます。

 

純粋な気の感覚だけで言えば、すべて間違いです。

 

それが「気」のみの場合は、なにかがある、という感覚以外には無く、ビリビリ感も、熱感もなにもありません。

 

では、そういった実感をともなう感覚はなにかと言いますと、気の周辺の夾雑物を含めた感覚です。

 

もしくは、自分の内部感覚が表れたものであって、外部の感知しようとしている気の感覚ではありません。

 

つまり、まやかしです。

 

有川先生はそのことを常に注意されていました。

 

ただ、そのなかに純粋な気の流れ、気の感覚がそこにあることも確かなので、そういった不純物を取り除いた先にある感覚を目指さなければならないと思います。

 

繰り返し言いますが、「気の感覚」は表現できないんです

気の感覚というのは、なんとなく「ある」という感じ方でしかないので、それを「言葉」で表現するのは極めて困難です。

 

伝承されなかった最大の原因がそれだと思います。

 

言葉や図、数値で残せないものなんですね。

 

練習を通してその感覚を共有していただくしかないんです。

 

無理に説明しようとすればできますが、それは例えばなしとなってしまいますからね。

追記

(質問)

私も早速電池ボックスでの練習始めてみました。まだ感覚は全く解りませんが。

 

この練習は一日どの位の時間やっていくとよいのでしょうか?それと合掌行気法にもトライしてみました。

 

三センチ位離した指がくっついてくる感覚があると書いてありましたが、時々指同士が反発し合う感じがあるのですがそれでもよいのでしょうか?

 

 

(回答)

まず、練習時間ですが、最低30分はやって頂きたいと思います。

熱心な方は3時間以上やったと言われていましたが、ただ漫然とやってもダメで、集中力が続かなくては意味がありません。

もちろん、集中してやれるなら、出来る限りやった方が、上達は早いです。

 

その方は半年で望診まで進みました。

合掌行気法は動画にもあると思いますが、手は離しません。

 

合掌ですので、くっつけた状態でやります。

なお、指先の反発、引き合う感じなど、気のボールつくりには役立ちますが、気流診でいうところの「気」とは違うものです。

 

つまり、その感覚はあってもなくても構わないという事です。

追記

(質問)

 

動画にあった、装置を作ったのですが、先っちょの豆電球が、一瞬光った後、消えてしまいました。

 

電球が光ってなくても、手の先に電気が通っている感じは、したのですが、これは自分の勘違いかもしれないとも思いました。

 

それで今日、材料を買ったホームセンターに行き、聞いてみたのですが、単一4本の電流に対して(6ボルトでした)、豆電球が耐えられず壊れてしまうのかも、という事でした。

 

単一電池4本に対応できる、豆電球がそこには、売ってなかったのですが、例えば東急ハンズなんかで売ってるのでしょうか?

 

豆電球が切れてても問題ないのでしょうか?

 

 

(回答)

豆電球は抵抗の代わりなので、切れていたら問題です。

 

つまり電気は通っていません。

 

ちなみに私の最初アンペアの低い豆電球を使ってしまし、すぐ切れれしまいました。

 

私の装置は単1乾電池4本と4.8V、0.5Aの豆電球です。

 

ちなみに、そこらへんのホームセンターでもアマゾンんでも簡単に手に入ると思いますよ。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

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東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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