腰痛治療の秘訣

目安時間6分

腰痛の主な原因の1つに左右の足のバランスが取れていないということがあります。

 

左右の足が同じ角度方向、力のバランスで支えている状態が基本で動くことができていれば腰に痛みは現れません。

 

左右の足の支える力のバランスが崩れることによって、

 

腰に過度な負担がかかってしまうことが原因となることが多いようです。

 

そこに深く関わってくるのが股関節周囲の筋肉群。

腰痛の治療

腰痛の治療において重要なのは、「どこが」「どの方向に動かした時」に痛いかです。

曲げて痛いのと反って痛いのでは身体の状態が全く異なり、治療の手順も変わってくるからです。

腰の痛みを「腰痛」とひとくくりにしてしまうのではなく、一人ひとりの症状、身体の状態を正確に把握し、

その人の身体に合った治療法を選択していく必要があります。

症状に合わせ、腰自体よりも、腰に負担がなくなるよう、左右の足のバランスを整えることによって、ほとんどの腰の痛みは解消されます。

 

先日の症例

この間、慢性の腰痛を訴えてこられた患者さん。

 

診させていただくと、腰の深部筋肉群(腰方形筋など)がおそらく動いていない。

 

だからしばらく座って、その後立つときに腰が伸びるのに時間がかかる。

 

確かに、背筋の腰の付け根あたりは炎症を起こしているようなのですが、

その奥にある原因は深部筋肉の硬化だと考えました。

 

そこで、深部筋に働きかけるように施術をして、様子をみていただくと、

その場ではあまり改善が見られませんでしたが、

翌日にはだいぶ動くようになったとのことでした。

 

このまま体が自由を取り戻すまで、通ってくださいとお話しさせていただきました。

 

ただ、どんな腰痛もこのパターンで良くなるとはかぎりません。

 

なぜなら・・・

 

なにも考えないパターン施術は楽でよい

ていうようなタイトルをつけてみたものの、本当にそれで良いとは思わないでください。

 

私が一通りの技法を学んで、実践してみて、気づいたこと。

 

いままでの整体に足りなかったものとは?

 

これからの整体師に求められるものを施術を受ける側に立って、真剣に考えてみました。

 

あなたは生きた治療家になりたいですか?

 

それとも死んだ治療家になりたいですか?  

 

治療はシステム化、パターン化した時点で死んでいる治療(機械的な)となってしまいます。

 

優れた施術家の弟子にはなぜか優秀ではあるが、施術の技量は受け継ぐ事ができなかったという事例が多々あります。

なぜか?

 

優秀すぎるがゆえに師の施術方法を分析し、分類しさらに診断・治療の方式をシステム化してしまうからです。

 

システム化された治療法。それは初学者にとっては非常に理解しやすいものです。

 

指標があり、修得の段階がわかるからです。

 

が、しかし・・・

 

その反面、システム化された治療は治療自体を盲目的にしてしまいます。

 

人体は生きていると言うのに、自然というものは非常に自由度の高いもののはずなのに、その治療体系のシステムやパターンからはずれたものは治療できない、またそれを疑問視する事もできない。

 

そんな治療家ができあがります。

 

いまのあなたは、どちらの治療家ですか?

 

平凡な治療家でよいけれども・・・

治療はシステム化、パターン化した時点で死んでいる治療(機械的な)となってしまいます。

 

システム化の功罪はすでに述べた通りですが、本来の体の状態とはなにか?

 

本来、体にとっては自然な状態が最も良いといわれています。

 

ですが、自然な状態とは具体的にどういう状態でしょうか?

 

「始原」とは物事の始まりの状態、もっとも原初の状態、そして生まれる瞬間の状態のことを言いいます。

 

生まれてしまえば「カタチ」すなわち形体をもち絶対自然の状態から離れていく。

 

その直前の氣(自然の理)と形体(肉体)が混然一体となっている時が始原の時です。

 

不自然な病の状態を形体(カタチ)を持ったまま原初の状態、自然の理に近づけていくことを理想としております。

 

日本古来の整体術は単純に外形だけを整える整体ではなく、見た目にはわからない内形(鍼灸学では経絡ともよばれる)を整える整体、それが当ブログのめざす真の整体技法です。

この記事に関連する記事一覧

コメントフォーム

名前  (必須)

メールアドレス (公開されません) (必須)

URL (空白でもOKです)

コメント

トラックバックURL: 
当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

メルマガ登録はこちらから

気と経絡をダイレクトに感知するための望診法メルマガです。登録解除はワンクリックでできますので、ちょっと覗いてみようかなくらいの気軽な感じで登録していただければと思います。

カテゴリー
最新の投稿
最近のコメント
アーカイブ
東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

ページの先頭へ

google-site-verification: googlea0d5fb4a649950c2.html