気楽な整体院開業 その4 「ただひたすら記録する?」

目安時間4分

さて、前回からの続きです。

 

とりあえず患者を選び(昔からの親友)整体の練習台・・いや患者になっていただくことにしました。

 

主訴は片頭痛です。

 

先生の技法チョイスはたった3つだけでした。

 

それでも時間的には30分少々。

 

で、施術後の変化はというと、

 

友人「気持ちいい気はする、治ったかどうかはわからないけど」

 

私「だろうね」・・・今から思えばなんて無責任なセリフ!

 

 

たった1回で治るはずはなく、週に2回ずつ施術。

 

友人の家だったり、私の家だったり。

 

ですが、なんの進展もなく1か月目。

 

ちょっと不安になってくる私。

 

このままじゃ、らちがあかない!

悩んでいても仕方がない。行動あるのみ!

 

 

先生はその症状について資料を集めろって言ってたよね、とりあえず調べるか。

 

 

というわけで、ネットの情報から始まり、

 

図書館での資料集め、

 

素人向けの本から、本格的な医学書まで読み漁り、

 

解剖学や、栄養学、片頭痛は心理的要因でも起こることから心のケアの方法まで調べていきました。

 

そこまで徹底して資料を集めると、さすがの私でもかなりの知識を得ることができ、偏頭痛に関してのみですけど、軽く1時間以上語れるくらいにはなり・・・

 

するといろんなことがわかってきました。

 

片頭痛といっても友人の場合はストレスとか、血管性のものじゃなくて体全体のねじれがあって、それが首にまで影響しているからだ・・・と思う(自信はない!きっぱり)

 

 

でもたった2か月でここまで詳しくなった。

ここまで進歩したたんだという気持ちになれました。

 

 

そして、3か月目に入り、友人の症状に少しづつ変化がでてきます。

 

背中全体が柔らかくなり、うつぶせの姿勢に明らかな変化がでてきました。

 

このあたりの詳細はまた別な機会にお話ししますけど、

つまり、だんだん良くなってきているんです。

 

 

でも、その間やったことは整体だけじゃありません。

ストレッチから、食事の栄養改善、睡眠の改善、いろんなことをやりました。

 

あとから知ったことですが、先生に言わせると、それらすべてが必要なことだったみたいです。

 

ちょっと難しい話かもしれませんが、1つの症状をいろんな角度から検討することで総合的な理解が深まるんだそうです。

 

そして、その全過程を記録し、次の段階へ進みます。

 

私は無事整体師になれるんでしょうか?

 

 

それは次回に続きます

 

 研修会風景

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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