潜象整体という技術

目安時間5分

整復ポイントを潜象界から探る

反応点を整復の目安にするとはどういうことか?

 

外傷であることがはっきりしている関節(捻挫が多いと思いますが)、その痛んでいる部分から反応点を探ります。

 

するとある方向に反応点が集中してでてきます。その点をA点とします。

 

そこから「てい鍼」をあて鍼が響く方向と出口となる点を求めます。その点をB点とします。

整復の方向はB点からA点の方向となります。

 

ただ、整復が必要な場合はその反応点は関節をまたいで近接して出現します。

 

もし経絡上にある程度の距離をとって出現したらそれは関節のズレの反応ではなく、本来の経絡の反応点かもしれません。

 

ここで私が言う整復は本来の意味の関節の整復です。

 

主に外傷でなおかつ新鮮例に限られてくると思います。(もちろん例外もありますが)

 

ただ、この方法は経絡治療本来の技術ではありません。

 

あくまで特殊な応用例ですので、ご理解ください。

 

 

ところで、ツボってどうやって発見されたんでしょう?

 

経絡ってどうやって発見されたんでしょうか?

 

経絡治療は当然、経絡が存在することが前提になっていますが、経絡は目にも見えず、また数々の観測機器でも捉えられず、その存在すら否定する人が多いものです。

 

経絡は現在、それを使用している人が(主に鍼灸師)現象として存在を実感しているから、あるのだろうと言われているにすぎません。

 

その発見の過程はいまも謎ですよね。

 

先の日記で書いたアイスマンエッツィーには経穴かと思われる場所にイレズミがあった。

 

だから鍼灸(もしくは経絡経穴)の起源は5000年前のヨーロッパだ、と主張する学者さんがいます。

 

でもその当時の人たちはヨーロッパの人であろうと中国の人であろうと、なんらかの形でツボ(経穴)を発見・使用していたんじゃないかと思うのです。

 

その当時の人になりきって考えてみると、なんとなくそう思います。

 

医学知識のない当時、体の不調をどう感じたでしょうか?

 

なにか悪いものが体に侵入してきた?そんな風に思えたんじゃないでしょうか。

 

では何が侵入してきたのか?どこから?

 

まずは身近な人(仲間)に自分の体をくまなく探してもらうでしょう。

 

でも、それで侵入経路が分からなかったら?

 

今度は自分で体の中を感じ取って探すしかありません。

 

じっと、集中して自分の体内の様子を感じ取ります。

 

 

意識を集中して感覚を研ぎ澄ませます。

 

すると自分の体の変化や内部感覚がだんだん敏感になってくるんですね。

 

痛みのある箇所と連動している箇所があるぞ!?、最初はそんな感覚だったかもしれません。

 

痛い場所そのものではなく、別な連動している箇所も痛みを軽減させるのに役立つ、そんな発見が積み重なっていくと、そこが治療のポイント(経穴)だということになったのではないでしょうか。

 

アイスマンエッツィーの発見したツボ(経穴)がどの程度のレベルだったかはわかりません。

 

また、その経穴にたいしてどのようなアプローチをしていたかは、わかりません。

 

ですが、ツボはそんな風に発見されてその経験の蓄積が体系化されていったのではないかと思うのです。

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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