望診法講座2 「潜象界とは」 ~気を感じる技術~

目安時間4分

古代に存在した望診とは

古伝の望診法は視覚に頼らず、人が本来もっている原初感覚によって感知するものとしています。

 

そこで、視覚に頼らない、古伝の望診法についてご質問をいただきました。

 

(質問)

視覚に頼らない、ということですが、では完全に目を閉じて望診したほうがよいのでしょうか?

 

(回答)

その場合は目の前に対象物(患者)があったとしても、遠隔望診と同じになってしまいますので、より難度が高くなってしまいます。

 

遠隔望診の難しさは目の前に対象がいないので、対象が患者(人)であれば、人型を想像しながら望診しなければなりません。

 

ですが、望診にはイメージや想像の排除が不可欠ですので、相反することしなければいけないわけです。

 

ですから目を閉じての望診はイメージしつつ、それにとらわれないという難しさがあります。

 

なので、視覚で対象をとらえたまま、望診していただければ良いのですが、コツとしては焦点を合せない、遠くを見るようにただ見る、という感じで望診していただくと良いかと思います。

 

視覚に頼るとどうしても目で見ようとします。

 

でもそれ(気滞)は目では見えませんので、つい目を凝らしてしまい、肩によけいな力が入ります。

 

それがいけないのです。

 

このあるがままを見る、というのが実は簡単で難しい。

 

本当はどんな人にも見えている(感知できている)はずなんです。

 

ですが、その情報を自らがシャットアウトしている。

 

見ている世界が同じでも、受け取る情報は取捨選択していますから、実はその情報を受け取っているにもかかわらず、自分で見えなくしている。

 

望診とは、その情報の受け取り方を変えていく技術だともいえます。

 

そのためには自らの自然への関わり方を変えていかなければならないのだと思います。

 

潜象界からの情報

よく、古伝の望診法は潜象界からの情報だと言われています。

 

ですが、潜象界そのものもまた、定義がないのです。

 

現象界(物質、目で見える世界)と相反する世界が潜象界(気の世界)だと言われていますが、そもそも「相反」する世界なのでしょうか。

 

逆に「包括」する世界、2つで一つの世界であるという意見もあります。

 

私は後者派なのですが、それを証明することはできませんので、断定するのはやめようと思っています。

 

ここで、断定してしまえば、まったくの空理空論となってしまうからです。

 

確証が得られるまで、研究を続けようと思います。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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