望診法講座40 「鍼灸の接触鍼について」

目安時間9分

「鍼灸で接触鍼と深鍼とでどちらがいいのか迷います。経絡治療など、

接触させただけで効果をあげている先生がおられますが、その反面、そんな鍼は効かないといって見向きもしない方もおられます。

本当のところはどうなのでしょうか」

 

これも私の私見となりますが、気滞や経絡の異常からくる症状には接触鍼でもかなりの効果が得られます。

 

でも、なかには経絡の異常をともなわない症状もあるんです。

 

もともとが自然治癒のベースにのっている状態つまり順調に回復している状態なら経絡にほとんど以上がでていません。

 

わかりやすい例で言えば筋肉痛、でしょうか。

 

これなどはすでに自然治癒のベースにのっており、放置しても、筋肉はさらに強い状態へ回復していきます。

 

施術するとすれば、物理的に硬くなった筋肉をほぐし、血流をよくすればよいので、深鍼のほうが効果があがるのではないでしょうか。

 

その判断はというと、これも私のことになってしまいますが、脈診では判断できません。

 

脈は素因脈というのがあり、左右差があるのが普通なんです。なので経絡に異常がなくても脈差はあるということです。

 

もちろんそれは初級レベルの話で、脈診に習熟すれば、異常のある脈差なのか、

そうでないのかを見分ける能力がでてくるのかもしれませんが、私には向きませんでした。

 

私はそれを望診による気滞で判断します。

 

経絡治療について

脈診といえば、経絡治療ですが、こんなコメントをいただいたことがあります。

 

「経絡治療に興味はあるものの、宗教っぽくて入信してません。」と。

 

これも私の現時点での私見ですが、いまの経絡治療は経絡と脈診至上主義といいますか、

盲信に近い状態ではないかと感じています。

 

どういうことかと言いますと、あまりに脈診重視に偏っているような気がするのです。

 

ただ、それが悪いわけではないのです。再現性があるなら、施術上の指標となり得るからです。

 

例えばこういうことがありました。

ある勉強会にて、肩こりの症状を訴える被験者に対して経絡治療を専門とする鍼灸師さんが脈診、腹診の結果、脾虚だと判断して主治穴を太白と選定しました。

 

たしかに脈状は脾虚でした。しかし、その方は問診時に「最近はお腹の調子が良いので・・・」と言われていたのです。

その方の基本的な証(体質)は脾虚なのでしょう。

 

ですから普段から脾虚の脈状(素因脈)を呈しているのだと思います。ところが、最近はお腹の調子は良いと・・・つまり現在の症状は脾虚からくるものではない可能性がある、と私は判断したのです。

 

脈に平脈はありえません。その方の体質によって日常現れる脈はなんらかの偏りを見せます。ですからどんなに健康状態が良くても脈差をみると、なんらかの証(あかし=診断名)はたつのです。

 

でも、体質由来の基本脈がある以上、脈差があるから異常だとは言えないと思うのです。

 

私は完璧な治療体系なんてないと考えていますから、経絡治療にもやはり適応と不適応があります。

※宗教ではありませんけどね(笑)

 

 

気滞は絶対的な指標となりえるのか?

「気になるのは望診の時、何を感じるか?そして、客観的なのか主観的なのか?」

 

自分の感覚として気を感知するとしか表現できません。また客観性は無いです。

 

しかし、主観に頼るものでもないです。ただ、ある(存在しているもの)ものを見ているとしか言えません。

 

「現場においてと施術者育成において再現性はあるのか?」

 

これについては創始者の有川先生が非常に厳しく指導されました。

 

再現性がなければそれは科学では無い、検証に耐えない、として厳しく言われていました。

 

そして常に100%の再現性を追求されていました。

 

気の感覚については他の五感と同様のものとお考えください。

 

つまり見えるかどうか、聞こえるかどうか、触れるかどうかがすべて。

 

同様に気を感知できるかどうか。できなければ分からない。できれば分かる。

 

そして同様に感じるはず。

 

私どもはなんにでも対応できる完璧な施術方法はないと考えています。

 

そして気流診も治療技術そのものではありません。

 

ただ、気の感知技術によって次の2点を明確にできることを目指しています。

 

自分の施術能力で対応可能かどうか、それで効果だせているかどうか、予後はどうなるのか。

 

その指標として気滞があるかどうか、は重要な指標となりえると考えています。

 

また、矛盾した言い方になるかもしれませんが私どもは気や経絡の存在を肯定もしておりません。

 

なぜならその存在はいまだに立証されていないからです。

 

ですから私たちは経絡の肯定派でもありませんが、否定派でもありません。

 

しかし、気流診(望診による気の感知技術)によって感知されるもの、

を説明する一種の仮説として経絡論を用いているという立場です。

 

有川先生のお言葉をのせておきます。

 

「気の感知ができるようになれば、私(有川)の言っていることが本当だったと分かるよ。できるかどうかがすべて。それをどう応用するかは君たちの自由だ」

 

追記

上記の記事に関してはいろいろ反論をいただいております。

 

「脈診至上主義は言い過ぎではないでしょうか?」などなど・・。

 

すみません。

 

経絡治療家の方々すべてがそうではありません。昔はさらに違いましたしもっと自由度が高かったように思います。

実際に脈診を絶対とはせず、関節を触診して整復を優先する経絡治療家もいたのです。

 

でも現在は会(どこの会とは言いませんが)の方針がそうなってしまっています。

 

しかたがない流れでしょうか。

 

ただ、このメルマガの中でも何回も言っている事ですが、症状があっても経絡の変動や気滞があるとは限らないんです。

 

だからすべての症状に経絡治療で対応できるというのは、間違いだと思っています。

 

ただし、それは同時に気流診にもいえることです。

 

気滞がわかればなんでも治せるわけではありません。

 

そもそも気滞がなければ対応できません。

 

いまの私のスタイルとしては、経絡の変動、気滞があればそれは私の施術の対象となります。

 

少なくとも気滞が無くなれば良い方向に向かいますから。

 

ただし、気滞がない場合は経絡治療(気滞消去治療)の対象にはなりませんから、

その場合は普通の整復技法で対応し、それで対処できないと判断すれば、他の的確な医療機関への受診を勧めます。

 

完璧な治療法はありません。

 

重要なのは自分に対応できるかどうかを的確に判断する能力、その指標として気流診という望診術があるのです。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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