昔、こんな体験をしました。
手の指が凍傷になりかけたんですね(いまから思うと、そうだったんだと考えられます)。
で、温めるためにお湯につけたんですが、熱くてつけられない。
そこで、どんどんぬるくしていったんですが、それでも熱くてつけられない。
最終的には冷水につけました。それを温かいと感じたんです。真冬に冷水をあったかい~、と感じたんですよ。
なにが言いたいかというと、いままで絶対間違いないと思っていた感覚も場合によっては180度変わってしまう事もあるといういことです。
では常にいまの感覚を疑えということか、とそういうわけではありません。
ただ、いま感じている事(常識も含めて)も、立場や見方を変えると全く違うものにも変わってしまうということを頭のすみには置いておかないといけないと思うのです。
毒が薬になるように、そのまた逆もあり、です。
そう考えると、嫌いな物、苦手なものも無くなってくると思いませんか?
それはさておき、施術においても絶対的な施術方法はやはり無いんです。その人には良くても、他の人には毒になる場合もあり、その逆のあり、です。
甲野善紀先生からのお手紙
お悩みなどのメールもいただいて、それに適切な回答でもできればよいのですがなかなか良いアドバイスも見つからず、で、次のようなお話を。
武術家で甲野善紀という方がおられます。技の向上に研究熱心なかたで、新しい技を思いつくと、真夜中でも飛び起きて道場へでて試してみる、といった感じの先生です。
その方がある曲を聞いたときに体がバラバラになるような衝撃を受け、技が進展したと言われたんですね。
で、その曲を私も聞いてみたんですが、私にはただの歌謡曲にすぎず、なにも起こりませんでした。
つまり、ある悩みがあってもその人への適切な答えは、その人によって違うということです。
ある人にとっては衝撃的な一言でもほかの人にはただの戯言にしか聞こえない場合もある。
なので、究極的には答えは自身で見つけるしかないということです。
でも答えは必ず見つかります。なぜなら、その人に答えが見つけられないなら、そもそも問題提起が起きないからです。
そういう意識を持てるということは、回答があるからなんですね。
なので、私にはこれしか言えません。
前進しましょう!じっとしていてもなにも起こりませんから。
その甲野先生から直接いただいた手紙に次のようなことが書かれていました。
「自らの内面的状況、傲った気持ちになったり、卑屈になったりする心と身体の動きの関連の研究に意を注ぎ、自らがより透明になって今の時代を生きてゆくことを私自身はなによりも追求してゆきたいと思っています」
道を追求されている孤高の武術家です。
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