望診講座60 「治るってどういうことなんだろう ~望診との出会い~」

目安時間9分

どうやったら患者さんを治せるんだろう?

 

そんな漠然とした視点から、治療技術についての考えを述べさせていただきたいと思います。

 

私は、鍼灸師、柔道整復師として開業させていただいております。

現在は「経絡の調整」「気滞の解消」をテーマに勉強を続けております。

 

簡単に経緯を申し上げます。

鍼灸学校を卒業後、現代医学の物理的な治療法に興味を持てなかった私は、東洋医学的な思想や治療技術に魅力を感じ、まず中医学を学びました。

東洋思想の基礎から教わり、たいへん興味を持つ事はできたのですが、実際の治療技法に関しては中医学の迷路(※)に入り込んでしまい挫折。

 

※中医学の迷路について
東洋医学というのは陰陽五行論という仮説のうえに成り立っている医療です。

 

根幹をなす理論がすべて仮説(たとえ話の域をでない)というところが問題です。

たとえば、手にペンをもっていたとします。手を離すとペンは床に落ちます。

 

ペンが落ちる、これは事実ですがこれをいろいろな表現方法をもちいて説明できます。

ペンが落ちる、ペンが床に向かう。床とペンがくっつく、など。

 

すべて同じ事実を表現しているのですが引力、重力の理論がみつかっていないという前提だと、からそれをいろいろな言い方(仮設)で説明することになります。

 

そして、そのたとえ話や仮説をさらに組み合わせて複雑化してしまったのが東洋医学です。ひとつひとつは事実をいっているのでしょうが、その仮説を組み合わせて、さらに新しい仮説をつくりだしたら、もうなにが事実かわからなくなってしまいます。

 

これが東洋医学(中医学)迷路です。

 

その後、〇〇はり医学会の経絡治療というシンプルな技術体系にひかれ、経絡の気の調整技術を学びました。

 

気が虚している経絡を補えば(気を通してやれば)病気は治る!という分かりやすい医学でした。

 

ですがここで長年の疑問が噴出します。

 

経絡治療なんてもう止めた!

気がいたる(気が補えたら)のを度(限度)として抜鍼しろと言うが、気が満ちてくるとう感覚がさっぱり分からない。

 

他の人は「気が満ちました!」と言って抜針しているが、それって思い込みなんじゃないとか思いながら・・。

 

そもそも適応側(治療ポイント)の選定ができない。

原則に従うか、カンに頼るしかない(だって、気がわからないから)。そんな疑問を抱えたまま、鍼灸から一時離れてしまいます。

 

柔道整復やマッサージ、整体の技法を学ぶ事にしたのです。

 

物理的に体を真っ直ぐ(骨格の矯正)にすれば治るだろう(施術を受けると、とっても気持ちいいし)。という単純な発想からでした。

 

ですが、すぐに壁に突き当たりました。

矯正しても治らない。それどころか悪化する人もいる。

 

それは技術がないから(へただから)?

 

診断が間違っているから?

 

ていうか、真っ直ぐな関節がいいのなら・・・全身人工関節にしちゃえばいいじゃん?

 

今思えばなんて乱暴な発想でしょうか(笑)

 

もちろん全身人工関節なんて実現しませんし、したとしても痛みからは開放されないでしょう。

 

生体においては、全身の複雑な構造が微妙な「ゆらぎ」をともないながら、それこそ微妙なバランスを保っているのです。

 

物理的に単純に真っ直ぐがいいわけではありません。

 

「PST療法」という整体の一流派も学んでみました。非常にソフトな整体です。

(注)PST療法、自然形体、リセット療法はまったく同じ療法です。

 

そこで得たことは、私の整体に対するイメージとは違うものでした。

 

世紀の大実験!?

そのソフトな整体の勉強会で、次のような実験をしました。

 

腰が痛いという被験者(模擬患者)にたいして、一応の歪みの診断を解説し伏臥位で寝ていただきます。そして痛みをとる魔法の小石を腰にのせておきます。

 

するとどうでしょう、数分後には痛みが軽減しているのです!

 

この魔法の小石を販売すれば大儲けです。

 

ただ、問題はこの小石は実験前に道端で拾ってきた、ただの石だということです。

つまり・・・詐欺ですね(笑)

 

では、どうしてこの小石で痛みがとれるのでしょう?

 

じつは簡単な診断を解説する、というところがポイントです。

 

それを聞いた被験者は、寝ている間に自分でも無意識のうちに自己矯正を始めてしまうのです。

 

それはどういうことか?

 

歪むとはどういうことか?

 

体が歪む、骨格が歪む、と言っても骨の形自体が変形するわけではありません。

歪みとは骨と骨どうしの関係性の異常です。

 

言い換えれば、骨をつなぐ軟部組織(筋・腱・靱帯など)の機能異常です。

 

そして、それらの軟部組織を統制しているのは神経系、脳です。

 

そう考えると、関節の歪みからくる痛みに芳香療法やホメオパシー(同種療法)が効果を発揮する理由がわかります。

 

また、見た目だけを整えても(真っ直ぐに矯正しても)治らない理由もわかります。

 

なんらかの理由で脳のスイッチがONになって初めて、矯正がはじまるのです。

先の小石はそのきっかけにすぎません。

 

でもどうやったらそのスイッチが切り替わるのか?

 

整体について調べなおしました。さまざまな整体技法も訪ねてみました。しかし実力のある先生ほど、骨格の矯正についてうるさく言わないのです。

 

アメリカの有名なオステオパス、ロバートフルフォード先生はその著書の中で治療とは生体エネルギーのブロックを取り除いてやる事だと書かれています。骨格の矯正につては殆ど触れていません。

 

オステオパシーの創始者スティルの文献を読んでも骨格の矯正のことより、これって気の事を書いているんじゃないのか?というような表現がいくつもでてきます。

 

医王会の増永先生も、経絡指圧の遠藤先生もマッサージで筋肉をほぐす事より経絡と気の調整について繰り返し説明されています。

 

整復・整体についてのイメージが変わりつつありました。

 

キーワードが頭の中をグルグルめぐります。

 

脳神経系? 気? 経絡? 生体エネルギー? 集合的無意識領域?etc・・・

 

そんなとき熊坂護先生(大東流合気柔術系の整復術)と出会いました。

 

そこからです、古流整体の見の技法と出会い、気滞を取るという考え方に出会い、そして有川先生へとたどり着くのです。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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