介護予防筋トレ 「60%省エネでいこうよ!」

目安時間6分

和伝整体塾の生徒さんが、介護用のオリジナルメソッドを作りたいということで、

 

要介護状態にならないための筋トレメニューを考えています。

 

考え方としては、日常動作に必要な筋肉量を70%とするならば、歳をとって、それが70%を切ると動きが辛くなる。

 

当たり前ですよね、必要な筋肉量が足りていないのですから。

 

なので高齢者は筋トレしようってさかんに言われているわけです。

 

そして、肉を食べろと。

 

でもそれが本当に正しいことかどうかは分からないと思っていますし、

 

また別な正解もあるのではないでしょうか。

 

例えばこんな考え方もあります。

 

日常動作に必要な筋肉70%を60%に減らしたらどうか。

 

どういうことかといいますと、動きの効率化、省エネ化を学んで、いままでよりも少ない筋肉量、エネルギー量で動けるような体づくりをすれば、筋肉量が減っても動けるのではないかという考えです。

 

実例がないのかと言えばそうでもありません。

 

昔の武術家はみなそうであったと思いますし、現代でもそのような研究をされている方はおられます。

 

武術研究で有名な甲野善紀先生も古武術の動きの理論を介護の現場で役立てられないかという提案をされていました。

 

武術の動きは効率化を目指す動きですから、その練習は少ない動きで力を発揮する省エネ動作に直結しているんですよね。

 

 

でもそれは若い頃から武術の修練をしてきた賜物です。

 

高齢者になってから、そんな練習をしなさいといっても、無理なのはわかっています。

 

なので、高齢者でも簡単に練習できる、動きの省エネ化のメソッドをつくっていこうというわけです。

 

完成したら、発表しますね。

 

追記

これは後日「10秒筋トレ」としてある程度体系化しました。

 

以下、その概要です。

 

(概要)

 

そもそも「筋トレ」という概念は西洋体育のものです。負荷をかけ、筋肉を太く強くし、多少体が歪んでいても、動きが非効率的であっても、筋力で補おう、その筋力を増やそうというもの。ひたすら「増やせばよい」「大きければ良い」という考えが存在します。

 

対して、10秒筋トレは同じ「筋トレ」の名称を用いていますが、その内容は東洋体育の概念から始まっています。その根本は自然との調和です。

ですから東洋体育では「ひたすら増やす」という考えはありません。

 

西洋体育による筋トレは、ある意味では楽です。重りをつけて一定動作を繰り返せば、筋肉が太くなる。利点として、その効果は誰でも同じように短期間で現れてきます

ただ、トレーニングはひたすら続ける必要があり、止めれば筋肉もまた細くなってしまうこと。また負荷をかけるために怪我が多いのも欠点となります。

 

対して東洋体育による筋トレは、体に自然な動きを覚えさせることによって、動きの効率化(省エネ化と言っても良い)を図ることにあります。

それは脳―神経系の訓練に近いものがあります。一度体が覚えてしまうとトレーニングを止めても元に戻ってしまうということがありません。

ただ、自然と体の調和を自得する必要があり、修得にも時間がかかります。

 

東洋体育(10秒筋トレ)で言う、自然との調和とは、具体的には「重力」との調和のことです。もっとも身近な自然の働きである「重力」は時として、関節に負担をかけ、血液の流れを停滞させます。ですが、その重力に逆らうための筋力をつけるのではなく、逆に重力に対して、自然に立ち、動く方法を身に着けること。

自然な動きとは長年、無理な動きの癖がついている関節や筋肉に滑らかな動きや、自然な位置、角度を覚えてもらうことです。

 

東洋体育は、日本古来の自然観に根付いた感覚から発展した運動法でもあります。

その動きは、なんらかの芸事に熟練した動きを見せる名人、達人の動きであります。

 

ただ、達人(100点満点)を目指すとたいへんなので、「10秒筋トレ」では日常動作のプチ名人(50点くらい)を目指すことにします。

 

ほとんどの痛みは不自然な動きを修正することで解消できます。この10秒筋トレを通じて、日本古来の自然観を自身の体で学んでください。

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古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

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