坐骨神経痛は病名じゃない!

目安時間8分

整体ではなにが治るのか?とよく聞かれるます。

 

整体なんか通ってないで、病院いったほうがいいよ、とアドバイスされる方もいます。

 

私もその意見に賛成ですよ、というと「えっ!?」と言われる。

 

でも、まずは病院でおおきな故障がないかどうか、きっちり診断していただいたほうがよい。

 

そのうえで整体に通っていただきたい。

 

では整体ではなにを治すのか?

 

私は体のバランスとりだと思っています。

 

例えば、車でいえばエンジンの故障はディーラー店(人でいう病院)へ、シートポジションなどの微妙なバランス関係はチューン専門店へ(整体院)という感じ。

 

※いやエンジンだって、という方がいるかもしれませんが、あくまでたとえ話ですので・・・

 

「でもギックリ腰や捻挫が整体で1回で治ったという人がいるけど・・・」

 

まず、ギックリ腰も捻挫もこれは外傷です。切り傷と同じ。からだの内部でおきているから、外の皮膚にできた切り傷と認識が違うかもしれないが、同様の外傷なんです。

 

捻挫、ギックリ腰が1回で治るのなら、皮膚にできた切り傷も一瞬で治癒させられるはず。

 

ぎっくり腰を1回で治したと自慢する治療院があったとしたら、その先生は分かっていないだけです。

 

その整体院に行って、擦り傷、切り傷を1回で治してくださいと、言ってみたらいい。

 

できないから。

 

「自然治癒力の限界を超える治癒はおこらない」からね。

 

その1回で治ったという捻挫やぎっくり腰は、本当の意味でのギックリ腰ではなかったのだと考えられる。

 

つまりは単なる凝り張りだったということ。

 

単なる凝り張りでもバランスがおおきく崩れれば、ギックリ腰のような激痛を起こすんです。

 

じつはこういう痛みには病院は案外無力で、痛みへの対処療法しかない。

 

でも、上手に整体してその張りを緩めることができれば、1回の施術で劇的に改善します。

 

それこそ、1回でぎっくり腰が治った!と言われちゃいます(笑〉

 

そこに整体院の存在価値があると思うのだが、どうでしょうか?

 

四十肩、五十肩!

よく整体スクールの宣伝文句で四十肩が1回~数回で治った!即効性のある画期的な整体、などと言っているところを見かける。

 

一般の方は素直のすごいんだな~、へ~ってな感じで驚き、ぜひその整体術を学んでみたい、受けてみたいと思うのだろうが、そもそも四十肩というのは病名では無い。

 

そしてその原因はさまざまなのだ。

 

1回~数回で治る四十肩もあれば、長期間の治療を余儀なくされる四十肩もある。

 

私の治療院でも四十肩が1回~3回で治ってしまった例などいくらもある。

 

ある程度、経験を積んだ治療家のかたならそんな経験も当然のようにあると思う。

 

しかし、そんなことが自慢にはならないこともまた、よく理解している。

 

何度も言うが、「自然治癒の限界を超える治癒はおこらない」

 

奇跡的な効果をだせる整体術など ない のである。

 

ゆめゆめ、夢みたいなことを思い描かないように。

 

四十肩同様、坐骨神経痛というのも病名ではありません

ただ、痛い部位を示しているだけです。

 

つまりお腹が痛い、頭が痛いとさほど変わりません。

 

問題は坐骨神経に沿って痛みを発している原因なのです。

 

その原因は人それぞれで、脊椎のすべり症からヘルニア、梨状筋症候群、ただ、坐骨神経痛様の痛みがあるだけで、坐骨神経痛では無いものまで、いろいろです。

 

だから、この整体で坐骨神経痛から解放された!すごい技術、などと宣伝されても騙されるのは素人だけだとお診ます・・・だといいのだけれど。

 

これから整体を学ぼうとする方々に念を押して言っておきたい。

 

施術は王道を歩むべき。

 

また自然治癒を超える奇跡は無い。

 

簡単手軽に格安で学べる整体技術はレベルもそれなりです。

 

いかなる武道も1か月で黒帯になれると言われれば、インチキだとわかりますよね。整体だけが特別ではなのです。

 

またこの武道を学べば最強だ!というのも幻想だとわかりますよね。整体も同じです。

 

治癒に免罪符はありません。

 

特別な治癒が無いかわりに万人に平等に自然治癒力が働いています。

 

もちろん、あなたにも。

 

ミクロの医学とマクロの医学と

医学・医療というものは2つに大別されます。ミクロの医学とマクロの医学。

 

ミクロ医学の最先端は現代の西洋医学。

 

東洋医療がめざすのは身体全体のバランスや、身体と自然とのかかわりを重視した医学。

 

この目に見えない「つながり」というものは数値化しにくく、長年の経験と勘に頼る他ありませんでした。

 

ですが、このつながり(鍼灸医学では経絡ともいう、他治療体系によってさまざまな呼称がある)というものを過去の名人、達人たちは意識する、しないにかかわらず、調整する技術を修得していました。

 

この技術の有る無しが平凡な治療家と達人といわれる治療家の差だということです。

 

ですが、昔は見取り稽古といって、「ただ黙ってみていろ」といった修行法が通常でした。

 

しかし、それでは一部の天才しか会得することはできません。

 

当ブログでは、これから、この内形調整の技術をいかにして誰もが修得できるようになるのかを考えていきたいと思います。

この記事に関連する記事一覧

コメントフォーム

名前  (必須)

メールアドレス (公開されません) (必須)

URL (空白でもOKです)

コメント

トラックバックURL: 
当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

メルマガ登録はこちらから

気と経絡をダイレクトに感知するための望診法メルマガです。登録解除はワンクリックでできますので、ちょっと覗いてみようかなくらいの気軽な感じで登録していただければと思います。

カテゴリー
最新の投稿
最近のコメント
アーカイブ
東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

ページの先頭へ

google-site-verification: googlea0d5fb4a649950c2.html