個人治療院の経営戦略11 「志は必要か?」

目安時間4分

開業するにあたっての高い理想と志、これは重要なはず・・・ですよね?

 

開業するにあたっての心構えについて、これはとても重要かつ開業の成否を左右する重要ポイントです。

 

たとえ誰が開業に反対しようと強い意志をもって、高い志、患者のためを第一優先として行動すれば、おのずと結果がついてくる・・・と、一般的にはいわれてますが・・・。

 

さて、自分のときはどうだったかか?

 

あまり高い志などなかったような・・・そうそう、会社勤めするのが嫌で開業したんだ。

 

強い意志?あったかな~、て感じで。

 

患者のため?う~ん・・・自分の生活で手一杯で、儲けることしか考えてなかったかも・・・。

 

と、わが身を振り返れば、開業の心構えなどと偉そうなことは言えるはずもなく、それでもなんとか5年間やってきました。

 

それができた理由としては、一言でいえば「運」でしょうか。

 

「え~っ!」という声が聞こえてきそうな。

 

でもホントなんです。

 

私の場合は開業の動機は以下の3つです。

 

1、人に使われるのが嫌だから就職はしない。したがって開業する。

 

2、開業したほうが時間も自分の自由にできて気が楽。したがって開業する。

 

3、でもって、整体業という癒し系職業が一番やってみたかった。

 

で、「嫌なことをしない」と「好きなことをする」を両方守ろうとした結果、治療院経営を続けてこれたのです。

 

本音ですよ。

 

 

さて、たいそうな志をもってもダメなときはダメなんです。

 

そういう例もたくさん見てきましたから。

 

私のなかでは半分は運です。

 

 

じゃあ、もう半分はというと、自然の流れ・・・かな?

 

どんなに高い志しをもっていてもそれが需要に合っていなければ、空回りするだけです。

 

どんなに高い技術や能力があっても、その場所で必要とされていなければ、徒労に終わります。

 

その場所で必要とされることが大切ですよね。

 

それはやっぱり、「運」と「自然の流れ」としか言いようがない。

 

 

 

話が大きくなっちゃいますけど、歴史をみていてもそうじゃないですか?

 

例えば幕末で活躍した侍たち、どんな優秀な人材であっても、時代が違えばただの下級役人で終わっていた人がほとんどでしょう?

 

どんなに高い志があっても、すばらしい考えや理想があっても、すごい技術も、周りから必要とされなければ活かすことができないんです。

 

いまの時代の、いまの場所で活躍するためには、なにが必要かを考えなければならないこともあるのだと思います。

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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