個人治療院の経営戦略12 「誰でも名人になれます」

目安時間7分

30年前とはあきらかに変だ!

っていうのは、私の住んでいる街の話。

 

なにが変なのかと言えば、やはり気候。

 

30年前とは明らかに夏が異常に暑くなってます。

 

以前なら扇風機でも過ごせるくらいの暑さでしたが、いまはクーラーがないと危険(真剣に)。

 

前回書かせていただいた、「100年後天気予報」が現実になったら、単に暑いじゃすまないと思う。

 

異常気象の末に、世界的な食糧危機が発生してもおかしくないんじゃないでしょうか。

 

ほんと、脱炭素社会を真剣に考えましょうね。

 

さて、本日のお題です!一流じゃなくても開業はできる

技術がないと開業できないのでしょうか。

 

本日は技術にたいする考え方についてです。

 

一流の技術を修得したい。または一流の技術を修得してから開業する。というセリフをよく聞きます。

 

その反面、一流の技術家にはなれない、だから開業しない、できない。というセリフもよく聞きます。

 

さて、どう思われますか?

 

私もそうだよって方、多いのではないでしょうか。

 

ちなみに私は技術ほぼゼロの状態で開業してしまったので・・・

 

 

まず、一流の技術を修得できない、その能力が無いと言われる方へ。

 

学ぶという能力は人間に突出した能力です。

 

人はなぜ学ぶのか?なぜ勉強しなければならないのか?という疑問を持つ方がおられるみたいですが、私は学ぶという能力は人がもつ特殊能力で、それは本能に近いものだからだと思っています。

 

そして、その能力をつかって学んだのち、模倣の段階から独自性の段階へ進んでいきます。必ず、です。

 

昔から学習の3段階として守・破・離といわれてきました。守というのは学習の第1段階、模倣のレベルです。

 

次にそれを破る、はては離れるという段階に進むのですが、そのためには個性というオリジナリティが必要になってきます。

 

模倣の段階はだれにでもできるんですよ。

 

ただ、そこから次の段階に進めないのは、圧倒的に学習時間が足りていないからだそうです。

 

できない、わからない、と言う前に・・・

 

ただそれだけ。

 

能力不足でもなんでもない。

 

ただ学習の量が不足しているだけなんだそうです。

 

よく10000時間(1万時間の法則)取り組んだら、そこそこのレベルになれる、と言われますがまさにその通りなんじゃないかと思います。

 

できない、と言う前に実践しましょう。

 

10000時間、1日8時間実践するなら約3年半です。

 

でもだらだらと、ただ3年過ごしてもダメですよ。

 

私は修得度は時間×集中度だと思ってますので、同じ10000時間過ごしても、集中して真剣にやった方と、ただ10000時間過ごしただけの方が同じなわけないじゃないですか。

 

だから、集中してやらなかったら、10000時間の10倍、10万時間使ってもゼロだと私は思います。

 

しかし、そこで大変なのは時間の捻出です。

 

例えば、会社勤めしながら10000時間を捻出するには何年必要でしょうか。

 

場合によっては退職するまで無理なんじゃないですか(私もそう思ってました、定年まで無理って)

 

でも、その頃には体力も修得能力も半減していますから、10000時間じゃ足りなくなっているかもしれません。

 

なので、らくっと整体で即開業を勧めているのは、この3年半という時間の捻出を短縮するためでもあるんです。

 

それに、らくっと整体の自然効能系技法なら即開業も可能、そこで実践(収入を得ながら)して、3年半(10000時間)の修練も行うということを理想としています。

 

実践即現場だから、習熟度(真剣度)もあがるでしょう?

 

 

次の「離」の段階ですが、個性って誰にでもありますよね。

 

必ずあるんですよ、念のため(笑)。

 

圧倒的な学習量をこなすと模倣(守)から脱模倣(破)の段階に進みます。

 

そこに個性が加わると、独自性(離)の段階に進めるんだと、私は思ってるんです。

 

独自性がでてくると、そこに一流も二流もない世界が広がります。

 

そして、あなたの個性を必要とする人は必ずいますよ。

 

一流の定義が「なんでもすぐ治せる施術ができる人」なら、私は少し違うと考えてます。

 

そんな一流なんかになれなくても開業はできます。

 

そして、ちゃんと集客もできます。

 

それはあなたにしか出来ない施術、あなたにしか出来ないサービス、あなたにしか創れない治療院を必要とする人が必ずいるからです。

 

私も開業して、日々実践修行しながらもうすぐ5年が立とうとしています。

 

すでに10000時間オーバー!

 

では、みなさんより一足先に達人の領域へ・・・(笑)

 

いけるよう努力します!

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

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講師 岡田 (大阪府 整体師)

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

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