個人治療院の経営戦略23 「経営なんて実は簡単、ただ〇〇するだけ」

目安時間6分

経営戦略のセオリー通りにすれば流行るだろうか?

 

残念ながら、そう簡単ではありません。

 

流行る経営戦略のセオリーがあるのなら、みんなの治療院が大繁盛です。

 

よい立地で内装・外装にお金をかけて宣伝も派手におこなう。

 

それでも流行らないところは流行らない。なぜか!?

 

「技術がないからです」

 

と言い切る先生もいますが、それだと、もはや経営改善以前の問題になってきます。

 

ここでは最低限、治療家としての技術は身についている前提でお話します。

 

1つ例をあげて検討してみましょう。以下実例です。

 

私自身の例なので間違いありません(笑)。

 

本格的な開業前の腕試しとして自宅開業しました。

 

ですが、そこはバス路線もないような田舎の村で、その地区の人口は250人くらい。

 

普通ならそんな辺鄙な場所での開業は考えません。

 

さて、そんな田舎で1日何人くらいの来院患者があったか?

 

答えは8人です。

 

せいぜい1~2人くらい(1日)だろうと思っていましたが、意外なことに全く宣伝しなかった割には多く集患できたのです。

 

これを少ないとみますか?多いとみますか?

 

私はさらなる発展をもとめて人口30万人の都市に自院を移転させました。

 

人口250人で8人の来院があったのです。

 

30万人なら断らなければならないくらいの来院があるだろう!

 

と、期待いっぱいです。もちろん宣伝も考えました。

 

さて、結果は?

 

1日の平均来院患者数は4人だったのです。

 

まあ、最初の1ヶ月目はこんなものだろう・・・

 

そう思っていましたが、2ヶ月目・・・6ヶ月目・・・事態は好転しません。

 

さすがにあせってきます。

 

そこで宣伝広告・チラシを乱発しますが、やはり経営状態は好転してくれません。

 

なぜか?

 

田舎での開業はたとえ設備が整っていなくても、宣伝しなくてもそこに治療院があるというだけで、必要性があったのです。

 

それはどういうことか?

 

その地区の高齢者は足(いわゆる車などの交通機関)がありません。

 

治療院の見栄えよりなにより、歩いていける距離に治療院があるということが重要だったのです。

 

ですが、都市部ではどうだったか?

 

私の治療院に来なければならない特別な理由はあったか?

 

いま思えば、あえて私の治療院を選択しなければならない理由はなかったように思います。

 

経営に戦略は必要です。

 

ですが「戦略」とはなにかを勘違いしていると経営には失敗します。

 

単に立地・宣伝・設備を整えればよいというのは、間違いなのです。

 

それは、戦略ではありません。

 

必要なのは、その場所と時流にあった「技術+価格+宣伝」なのです。

 

ですから、時と場所によって戦略はおおきく変化します。これを勘違いしてはなりません。

 

極端な話ですが、あなたに超一流の整体技術があったとしましょう。世界一の技術です。

 

ですが、たとえば戦場の最前線でそれが活かせるか?

 

無理ですね。

 

三流の外科医にも負けてしまうでしょう。

 

逆に平和なオフィス街では外傷の処置などほとんど需要がありません。

 

私が、たとえ一流の整復技術をもっていたとしても安価で提供されるリラクゼーションマッサージ店に負けてしまうでしょう。

 

経営とは必要なものを必要としている場所に提供することなのです。

 

あなたに必要な戦略を考えてみましょう。

 

じつは簡単なことです。

 

あなたにできることを、それを必要としている人に、提供する。

 

それだけです。

 

 施術風景

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

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潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

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