個人治療院の経営戦略24 「熱意という見えない要素は超重要」

目安時間5分

経営を成功させるのに必要なのは、

 

①自身の技術力の正確な把握(これは商品の特性を把握するということです)。

 

②経営は掛け算であるから、その技術力を的確に表現する宣伝。

 

③時と場所を考えた経営戦略。

 

なるほど、これだけあれば治療院は経営改善できるのか?

 

じつは、もう1つ足りません。

 

それはなにか?

 

また私の例をあげてみたいと思います。

 

ある治療院の代理院長を任されたときの事です。

 

といっても友人の施術家と2人で週の半分を受け持つ感じでの勤務形態だったのですが、その治療院は1日平均20人前半台の来院患者数がありました。

 

私はまだ、かけだしでしたが、初めて施術を任される立場になってはりきっていました。

 

ですが未熟とはいえ、かなりだいたんな治療、恐れを知らぬ発言(笑)。

 

いまでも冷や汗ものの施術だったと思います。

 

やる気とは反対に技術力はいまひとつだったのです。

 

ただ、今思い返してもハリキリ度は一番あった頃だと思います。

 

そのおかげか私の受け持ち日の来院患者数も順調に伸びて、多いときには1日100人を超える来院患者数(ほんとなんですよ!)。

 

平均でも75人くらい毎日診ていました。

 

反対に友人が受け持った日は以前と同じ25人平均です。

 

私は自分に実力があると思い込み得意になっていました。

 

そうして2年くらい、その治療院にお世話になりました。

 

さて、その治療院の退職が決まってからの最後の4ヶ月間の事です。

 

その4ヶ月間、急速に私の担当日の来院数が落ちていったのです。

 

最初の1ヶ月は、そんな月もあるかな、という程度で気にしませんでしたが、次の月もその次も来院患者数は減り続けたのです。

 

逆に友人の担当日は来院数が急上昇しています。

 

なんとか来院数を回復させようと努力しましたが、すべてからまわりで終わり、退職日を迎えてしまいました。

 

どうしてこのような結果になったのでしょうか?

 

じつはこの4ヶ月間、ただ退職が決まっていたというだけでなく、自分の治療技術の未熟さに気がつき(遅い!)、自信を失くしていた時期でもあったのです。

 

おそらく自分でも気がつかないうちに、言葉にも施術にも力を失くしていたのだと思います。

 

もちろん、そんなことは患者さんたちには悟られないようにしてはいました。

 

ですが、あと4ヶ月で退職、治療技術への疑問が「やる気」を削いでいたのは事実です。

 

いくら表にださないようにしていても微妙な変化が患者さんたちに伝わったのだと思います。

 

つまり、「やる気」の低下が原因だったのです。

 

これは、「熱意」と言い換えてもいいでしょう。

 

この施術者側の「気」はダイレクトに患者様に伝わります。

 

長年施術をされている先生方なら、共感していただけるのではないでしょうか。

 

そして、これを回避する方法は、たった一つです。

 

それは・・・

 

「やりたくないことは、やらない」

 

経営のために、とか、サービスで、とか、経営と収益のためだけが目的のことって熱意がこもらないですよね。

 

それって、結局空回りしておわるだけですから。

 

安定経営のコツのひとつは、気持ちをこめてやれることだけに専念することです。

 

 講習会風景

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古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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