望診法講座111 「東洋医学は嘘と虚構の世界」

目安時間6分

鍼の施術をしていると身体に「スジ」が浮き出てくることがあります。

この現象は鍼灸の臨床をある程度経験された鍼灸師さんなら大抵の方が経験されているのではないでしょうか。

 

それを古代の医師たちは「経絡」と命名したのだと思われています。

ただ、ほとんどの場合その経絡を五感で感知することはできません。

 

それを感知するには、経絡を感知することができる「五感以外の特殊な感覚」が必要 です。

その特殊な感覚を用いて、身体に現れるスジをなぞって鍼灸経絡治療を施術します。

鹿児島の医師であった有川貞清先生は、この感覚の存在を知ったこ とで、東洋医学に対して全く新しい解釈を持つよ うになりました。

 

「気や経絡」という言葉は東洋医学関係者はもちろん、最近では一般の方にも認知されるようになりましたが、じつはその存在を証明することは誰もできていません。

 

そういう意味では我々の勉強会でおこなっている望診も気や経絡も虚構の世界であると言わざるを得ません。

 

施術者には、気や経絡は本当に存在するのか?という疑問が常に存在します。

この問題に対しては、現代の東洋医学界でも賛否両論があり、共通の見解は出されていません。

 

つまり、気や経絡は存在するのか、しないのか、それすら現時点では結論はでていないということになります。

 

科学的な研究をはじめとして、さまざまな方法が試みられていますが、不明のままなのです。

ここで言う科学的な方法というのは学術論法にのっとって正しい認識ができるという意味です。

 

信じられている、昔からある、真理である、などで説明していくのではなく、

確実な、また客観的に同一性、再現性がある現象を説明できることが科学的であるということです。

 

つまり、事実である「観察したある現象」から何らかの同一性を導き出し、また普遍的な再現性がある、その現象を説明するという思考です。

当然、西洋医学は、科学的思考に基づいているので、現象の説明に必要となる現象はすべて実体として捉えられていますし、再現性もまたしかりです。

 

東洋医学は、その何らかの同一性が、証明可能な実体ではなく、「信じられている古典」に記述されている東洋哲学の概念に基づいているため、客観的事実としての証明ができないのです。

 

また、基本理論とされている「陰陽五行論」なども、東洋哲学に基づいた架空の理論です。

したがって、東洋医学は現時点では「空理空論」の域を出ることができないでいるのです。

 

そこで疑問です。いったい東洋医学の古典は何を根拠にして書かれたのでしょう?

おそらく医療としての技術体系、理論体系が整う以前の原初的治療行為が行われた時代まで遡る必要があるかと考えられます。

 

現在の考古学、人類の起源の研究によると我々現代人以外にも人類は存在していましたが、現在まで生き残れたのは我々ホモサピエンスのみ。

そして他の人類との大きな違いは感覚の共有にあったとする説があります。

 

他の哺乳動物と比べて弱者であった人類は集団で行動するという選択をしました。

しかし、それも他者との思考や感覚を共有できるというある意味特殊な能力があったからこそできた選択でした。

 

その感覚は他者の痛みや苦しみも理解するという能力にもつながります。

そして、その能力によって他者を癒すという行為につながるのですが、それが原初の医療行為であったと推測されます。

 

それは最初、祈り、祈祷という行為から始まり、まじないなどの呪術的行為に発展していったのでしょう。

それが洋の東西を問わない、医療の起源だと考えられます。

 

ただ、東洋においてはその共有感覚と自然則を感知する身体の原初感覚によって他者のなんらかの異常個所を発見する方法につなげていったのではないかと考えています。

 

その発見したものを体系化したものが「経絡」ではないかと。

しかし、それらすべてが事実であるとは言い難く、その「なにか」はおそらくこういうものだろうという仮説や推論をごちゃまぜにして無理やり統合して作られたのがいわゆる「古典」なのではないでしょうか。

 

我々は、その中から確かな、再現性のある事実を抜き出してこなければならないと考えております。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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