経絡治療と整体2

目安時間4分

かつて、ある経絡治療の学術団体を代表する経絡治療家が往診を頼まれたそうです。

 

手が痛くて動かないから何とかして欲しいという依頼だったのですが、

 

診察後、その経絡治療家はおもむろに、患者の前腕を握り静圧を加えた。

 

パキッという整復音ののち痛みが激減し、さらに経絡治療を施し、患者の苦痛を回復させたという話です。

 

これって、立派な整体ですよね。

経絡治療家といえども経絡の変動がなければ、まず最も有効な手段をもちいて患者の苦痛を取るべきでしょう。

 

だって、鍼灸という施術は万能ではないのですから。

 

「私は経絡治療家だから揉まない(マッサージしない)」と言い切る鍼灸師の方がいらっしゃるがバカじゃないかと思うし、そもそもマッサージ師の方に失礼じゃないですか?

 

あくまで経絡治療にこだわるのは勝手ですけど、苦痛を耐えるのは患者である。へんなこだわりのために、患者の苦痛を長引かせてはならないんじゃないでしょうか。

 

すべての病変が経絡変動を伴うわけではない。

 

経絡の変動のない症例も少なからずある。

 

従って、まず鍼灸(経絡)治療の適応か否かの判別が必要となるはず。

 

もちろん、整体も同じです!

 

整体の適応でない場合、その症状に適切な処置を判断しなければならない。

 

その対処法の1つとして経絡を考える整体技法は重要な選択肢であり、優れた武器となる。

 

マッサージで固まった筋肉・軟部組織を緩めても、あとひと押し足りないことがある。

 

それは関節の歪み(亜脱臼)調整。

 

紙一重の差で効果がまるで違うことがあるのです。

 

経絡治療と整体

らくっと整体は経絡や気の流れを重視する整体技法です。

 

その関係で、経絡治療というものに一言。

 

経絡治療家は鍼灸、指圧などその施術方法にかかわらず、経絡絶対信仰者を多くみかけます。

つまり、すべての病変は経絡の変動によるものだと言っている。

 

経絡治療家の症例検討ではお題目のように「証はなに?」というセリフが飛び交う。

証(しょう)とは経絡変動からみた診断名のこと。

 

しかし、すべての病変が経絡の変動が主原因かというと私は違うと思う。

経絡治療は唯一絶対の治療法などではない。

 

経絡治療の適応か否か、まずそれを見極めなければならないと思う。

 

であるから、当塾では体の歪み、筋肉の動作不良、または亜脱臼を施術の対象としているが、経絡の変動を伴うかどうかで施術の内容が変わる。

経絡変動を伴う場合はまず、変動(=異常)のある経絡を調整する。

 

そのほうが、予後が良好であるからです。

この記事に関連する記事一覧

コメントフォーム

名前  (必須)

メールアドレス (公開されません) (必須)

URL (空白でもOKです)

コメント

トラックバックURL: 
当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

メルマガ登録はこちらから

気と経絡をダイレクトに感知するための望診法メルマガです。登録解除はワンクリックでできますので、ちょっと覗いてみようかなくらいの気軽な感じで登録していただければと思います。

カテゴリー
最新の投稿
最近のコメント
アーカイブ
東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

ページの先頭へ

google-site-verification: googlea0d5fb4a649950c2.html