望診法講座26 「始原東洋医学 ~古典技術の追求~」

目安時間5分

「この技術のルーツを教えてください」というご質問をいくつかいただいております。

 

この望診法の開発者は九州、鹿児島におられた外科医、有川貞清先生です。

 

ある日のこと、虫垂炎で運ばれた患者にとりあえず痛み止めの注射をしたところ、ありえない回復をしたそうです。

 

そのことを有川先生は非常に疑問に思い、どう考えてもあの注射が改善の要因としか思えない、

そしてその理由は注射をした場所(ツボ)に要因があるのではないか?

 

そんなところから探究がはじまったそうです。

 

それが昭和25年、いまからは想像できないくらい鍼灸や東洋医学が蔑視されていた時代です。

 

 

医師がそんなことに興味を持つこと自体、異端視された時代です。

それにしてもと思うのですが、よくそんな虫垂炎の一事例をそこまで考えたなと、

よくそこまで観察し、また探究をはじめたなと、あの時代に、一流の外科医が。

 

考えるほどに、奇跡的なことだと思いますよ。

 

有川先生の時代には、当然、望診の師もおりませんし、

まったくの未開の地をいくような感じだったと思います。

 

それを思うと、ちょっとやってみて分からない、できない、とは簡単に言えませんよね。

 

少なくとも、やればできる、ということが分かっているんですから。

 

有川先生は、その探究の先に結果があるのかどうかも分からない状態だったんですからね。

 

それでもやりとげたんですから、すごいです。

 始原東洋医学 有川貞清著

 

※ぜひご一読ください!

 

望診は独学でも修得可能なの?

ご質問への回答です。

 

1つは「1人ででもできますか?」というご質問、

 

もう1つは有川先生が開発者なら「古伝」というのは言い過ぎでは?というご質問です。

 

両方に回答したいと思います。

 

まず、1りででもできますが、効率は悪いです。

 

間違っていてもそれを修正するのに1人だと時間がかかります。

 

有川先生がその例です。

 

最初はたった1人で始められました。

 

ですから、すべてが試行錯誤で、ひととおりの体系をつくるのに50年かかっています。

 

いまはその50年の試行錯誤を1冊の書籍から学べます。

 

またある程度、正しい方向性が分かっているので、間違いが修正しやすいです。

 

なので、1人でも修得できますが、できればコーチをつけたほうが修得時間は大幅に短縮できます。

 

 

さて、もう一つのご質問です。有川先生が開発者ですが、有川先生いわく、

おそらく古代の本来の望診法はこうだったのではないか、という結論をだされています。そうでないと経絡を発見した過程などの説明がつかない、と。

 

ただ、長い歴史の中で、古代の望診法の技術が失われたのだろうと言われていました。

 

そして現存する視覚に頼る望診法のみになったのだろうということです。

 

このあたりは講座の動画の中でも詳しく解説させていただいてますよね。参考にしてください。

 

できれば、古代に思いを馳せてください(笑)。

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当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

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東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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