望診講座59 「鍼は効きすぎる!?」

目安時間5分

私がまだ赤門鍼灸専門学校で学んでいた頃の話です。

 

経絡治療の先生が、

 

「鍼は効きすぎるから、ただ刺せば効果がでる。だからデタラメ鍼がまかり通るのだ」という意見をおっしゃっていました。

 

その言葉の真意はわかりませんが、私は鍼はただの針金の尖ったものであって、鍼そのものにはなんの効果も無いと思っています。

 

ただ、その刺激に反応する生体のシステムが優れているのではないでしょうか。

 

そのシステムが効率よく働くように鍼をすることが、私が勉強する目的です。

 

ですが、そのシステムとは経絡の変動があって初めて有効に機能するのです。症状があっても経絡の変動が無い場合、もしくは経絡の変動が主たる原因では無かった場合、経絡治療家(鍼灸家)は鍼にこだわるべきではないと考えています。

 

そこで、物理的な障害に対応する最低限の整体術を修得しておくのも鍼灸師として必要かとも思う。

 

もちろん、鑑別の時点で鍼灸の適応ではないという理由で、他院を紹介するのも良いし、それは自由。

 

しかし・・・

 

六十九難

経絡治療を習いはじめのころは、ほとんどの症例を六十九難に当てはめて施術をしていました。

 

虚している経絡を補い、その親経を補う。

 

でもそのパターンて、そんなに多いのだろうか。

 

切経で反応のある経穴を拾っていくと思っていたより変動経絡と親経絡の組み合わせの出現頻度が少ないんです。

 

陰経より陽経を先に処置したくなる症例もあり、また陰経も補うにしても単一で十分だったり、相剋経絡だったりと様々なパターンがでてきます。

 

片方の経を補い、反対側の経絡を寫すパターンすらありますから。

 

教科書(古典)のとおりに六十九難の証に当てはまるパターンは意外に少ないのではないかと感じました。

 

もちろん検証を重ねていかないと確かなことは言えませんが、感覚的には全症例の2割程度かと感じています。※ただし全体の2割なら多数派ということです!

 

経絡治療(鍼灸)の適応は鍼灸院に来院する患者のうち、何割くらいでしょうか?

 

みなさんは考えたことがありますか?

 

そもそも経絡ってなんだろう?

 

さて、経絡ってなんだろう?

 

ツボってなんだろう?

 

そもそも気滞とはなんだろうって考えたことありますか?

 

今は科学的に発見されていなくても、人体のなかに機能として実在しているんだと学生のころは思っていたんです。

 

でもそんなものは存在していなかった。

 

だから、いまは鍼灸師ですら、経絡の存在を否定、もしくは治療に活用しないとする先生のほうが多数派となってしまいました。

 

実をいうと、私は盲目的に経絡を信奉する先生より、経絡は実在が証明できない、だから使用しない、とする否定派の先生のほうが、まともなんじゃないかと感じるときがあるんです。

 

とくに、なんでもかんでも証(あかし)に当てはめようとしているときなど。

 

経絡の変動をともなわない病気もありますし、気滞の無い病気もありますからね。

 

経絡や気滞は目に見えない世界のことであるから、その表現方法は人それぞれなです。つまり同じ現象をみていても違った表現をする。でもそうして書かれているのが古典です。

 

なので古典でも同じことを言っているんだと気付くのに相当の実力が必要となります。

 

また経絡経穴はすべてが仮説の世界なので、仮説のうえに仮説をつくると、もうわけがわからない。それも古典を難しくしている原因だと思っています。

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当ブログの「望診」について

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現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

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講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

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勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

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