私がまだ赤門鍼灸専門学校で学んでいた頃の話です。
経絡治療の先生が、
「鍼は効きすぎるから、ただ刺せば効果がでる。だからデタラメ鍼がまかり通るのだ」という意見をおっしゃっていました。
その言葉の真意はわかりませんが、私は鍼はただの針金の尖ったものであって、鍼そのものにはなんの効果も無いと思っています。
ただ、その刺激に反応する生体のシステムが優れているのではないでしょうか。
そのシステムが効率よく働くように鍼をすることが、私が勉強する目的です。
ですが、そのシステムとは経絡の変動があって初めて有効に機能するのです。症状があっても経絡の変動が無い場合、もしくは経絡の変動が主たる原因では無かった場合、経絡治療家(鍼灸家)は鍼にこだわるべきではないと考えています。
そこで、物理的な障害に対応する最低限の整体術を修得しておくのも鍼灸師として必要かとも思う。
もちろん、鑑別の時点で鍼灸の適応ではないという理由で、他院を紹介するのも良いし、それは自由。
しかし・・・
六十九難
経絡治療を習いはじめのころは、ほとんどの症例を六十九難に当てはめて施術をしていました。
虚している経絡を補い、その親経を補う。
でもそのパターンて、そんなに多いのだろうか。
切経で反応のある経穴を拾っていくと思っていたより変動経絡と親経絡の組み合わせの出現頻度が少ないんです。
陰経より陽経を先に処置したくなる症例もあり、また陰経も補うにしても単一で十分だったり、相剋経絡だったりと様々なパターンがでてきます。
片方の経を補い、反対側の経絡を寫すパターンすらありますから。
教科書(古典)のとおりに六十九難の証に当てはまるパターンは意外に少ないのではないかと感じました。
もちろん検証を重ねていかないと確かなことは言えませんが、感覚的には全症例の2割程度かと感じています。※ただし全体の2割なら多数派ということです!
経絡治療(鍼灸)の適応は鍼灸院に来院する患者のうち、何割くらいでしょうか?
みなさんは考えたことがありますか?
そもそも経絡ってなんだろう?
さて、経絡ってなんだろう?
ツボってなんだろう?
そもそも気滞とはなんだろうって考えたことありますか?
今は科学的に発見されていなくても、人体のなかに機能として実在しているんだと学生のころは思っていたんです。
でもそんなものは存在していなかった。
だから、いまは鍼灸師ですら、経絡の存在を否定、もしくは治療に活用しないとする先生のほうが多数派となってしまいました。
実をいうと、私は盲目的に経絡を信奉する先生より、経絡は実在が証明できない、だから使用しない、とする否定派の先生のほうが、まともなんじゃないかと感じるときがあるんです。
とくに、なんでもかんでも証(あかし)に当てはめようとしているときなど。
経絡の変動をともなわない病気もありますし、気滞の無い病気もありますからね。
経絡や気滞は目に見えない世界のことであるから、その表現方法は人それぞれなです。つまり同じ現象をみていても違った表現をする。でもそうして書かれているのが古典です。
なので古典でも同じことを言っているんだと気付くのに相当の実力が必要となります。
また経絡経穴はすべてが仮説の世界なので、仮説のうえに仮説をつくると、もうわけがわからない。それも古典を難しくしている原因だと思っています。
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