まず、ご質問への回答です。
(質問)
望診の時に息を止めて行うようにしています。そのほうが集中が高まるように思います。いかがでしょうか?
(回答)
質問の内容がざっくりしていてよくわかりませんが、まず呼吸と止めることは、私はしていません。
というより、しないように注意しています。
なぜなら、「自然に伸びやかに」の原則に反するからです。
息を止める方が集中が高まる、というのはある種の加持祈祷や仙術もしくは、占術の判断の瞬間のことを参考にされているのではないかと思いますが、それと望診法は違います。
で、この方はおそらく望診法がうまくできていないのではないでしょうか。
息を止めると、気の滞りができます(自分の中に)。とくに胸に詰まりができてきます。
すると本来、胸を主な感知装置として使わなければいけないのに、その胸の感知能力が低下してしまいます。
望診法の原則は「自然舒展=自然にのびやかに」です。
なので、息も自然に、止めるようなことはしません。
有川貞清先生の天才性
じつは、私は有川先生を天才だとか、超人だとかは思っていないんです。
という発言をすると、有川先生のお弟子さんたちからは怒られそうですね。
でも有川先生がなぜ気の感知ができるようになり、それを体系化することができたか?
私個人的には、それは有川先生の特別な知識や、天才的なひらめきからではないと思っています。
ではなにか、ということを考えると、そこが気滞感知のコツにつながるのですが、私は有川先生が超現実主義者だったからではないかと思っています。
言い換えれば、有川先生は現実を「ありのまま」に捉える能力が優れていたということ。
普通の人は同じ環境にいても、その環境、目の前の事実をどうとらえるかは各自の脳の捉え方で見え方まで変わってしまうそうです。
つまり、自分の脳で自分だけの世界観をつくりだしています。
それが自己実現とも自己確立とも言われるものですが、それは学習や修得した技術、知識体系にも反映されています。
もっと簡単に、わかりやすく言うと、「こうあらねばならない」というルールを作り出しているという事です。
そのために、そのルールに不都合な事実は認識しえないか、無視するか、もしくは強引に既存のルールに当てはめてしまいます。
有川先生の凄さは、いままで学んだ西洋医学(外科)という絶対的な権威をもつルールを持っていながら、それに合わない事実を事実として認識したところにあると思っています。
その現実をそのままとらえる能力こそが、気滞感知のコツではないかと考えます。
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