患者は嘘をつく

目安時間5分

患者さんの「おかげさまで、よくなりました」は案外あてにならない・・・と思うことがあります。

 

自分がこんな経験をしたからだと思います。

 

自分が他の治療院で施術してもらっていた時、

 

その先生の手技が、ちょっと自分に合わなくて帰りたくなってしまったのです。

 

で、「おかげさまで、よくなりました。もうあまり痛くないです」と言ってしまいました。

 

このとき思いました。

 

「痛くないです」と「居たくないです」は同義語だ!(笑)

 

いやいや、自分の治療院だったら笑えませんよね。

 

それはどんな時かというと、たぶん可もなく不可もないとき。

 

もしくは・・・治療内容が辛くて早く終わって欲しい、もしくはもう帰りたいとき。

 

あなたにも経験あると思うのですが・・・。

 

ふらっと入ったリラクゼーション系のほぐしどころ、あまりの下手さに、もう時間の無駄だと思ったとき、

帰りたくなったでしょう?

 

だから、その患者さんの「よくなりました」は真実かどうか、

 

よく考えてみましょう。

 

患者さんが自分の施術を気に入ってくれた時、もしくは信頼してくれたときは、施術後はこんな感じになると思うんです。

 

立って体を動かし施術前と施術後を比べてみる、そしてチェックした結果をまず知らせてくれる。

 

もう少し改善できるなら、して欲しいと訴える。

 

とにかく積極的です。

 

本来、高いお金を払ってきているのだし、真剣に自分の体に向き合っているのなら、そうでなくてはいけないのではないでしょうか。

 

 

患者さんの嘘はもう一つあります。

 

めんどくさい時、この治療院で説明してもたぶんダメだろうと思う時、本当は他にも症状があるのに、黙っていることです。

 

よくよく聞いてみると、真実が見えてきます。

 

主訴である膝痛(仮に)の他にも頭痛や内科疾患を抱えていたりしても、

 

関係ないという思い込みから、それを話てくれない。

 

施術する側にとっては、膝痛と関係ないことなどないのですが・・。

 

同じ体の中で起こっている事なら、なんらかの関連はあるはずでしょう?

 

患者さんは嘘をつく。

 

それはめんどくさい時と、

 

もう一つは早く帰りたくなった時だ(映画「新参者」の阿部寛さん風に)・・・笑

 

いや、笑えないですよね。

 

嘘ではないが・・・

上記記述にも関連するのですが、患者は現時点での症状に関係ないと判断したらそれを言わない、または自身も忘れている、ということが多々あります。

 

最近あった実症例で言えば、頭痛を訴えてきた患者さんのことですが、その方は肩こりが主たる原因だと思い、仕事が忙しかったので・・・としきりに言われていました。

 

ところが、頭痛の起きている側が首から腰まで筋肉の緊張が強い。さらには体の傾きもある。

これはもともとの状態だろうか、それとも一時的なものだろうか、という視点から見ると、体質や癖に由来するものには見えず、最近一時的なコリに見えました。

 

そこで、普段の仕事の状態から最近痛めた箇所まで詳しく聞くと、反対側の足関節捻挫の既往があったのです。

 

その痛めた足首をかばうために反対側の腰から首にかけての筋肉の緊張が普段より強くでていたのです。

さらに言うなら足関節捻挫は完治していませんでした。

 

微小な亜脱臼が治っていなかったのです。

そこで体の状態の説明をしたうえで、足首の矯正からの施術となりました。

 

ほかにも内臓疾患を抱えていた場合、腰痛や頭痛とは関係ないと思い言わないかた、鬱や不眠で薬を長期服用していても言わない方など、さまざまです。

そういった情報を聞き取るのも術者の能力ではないでしょうか。

この記事に関連する記事一覧

コメントフォーム

名前  (必須)

メールアドレス (公開されません) (必須)

URL (空白でもOKです)

コメント

トラックバックURL: 
当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

メルマガ登録はこちらから

気と経絡をダイレクトに感知するための望診法メルマガです。登録解除はワンクリックでできますので、ちょっと覗いてみようかなくらいの気軽な感じで登録していただければと思います。

カテゴリー
最新の投稿
最近のコメント
アーカイブ
東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

ページの先頭へ

google-site-verification: googlea0d5fb4a649950c2.html