望診法講座4 「気や経絡を感知できることは必要なのだろうか?」

目安時間4分

気や経絡を感知する技術は必要なのか?

 

答えから言いますと、知らなければ、必要ないかもしれません。

 

普通の生活を送る分には。

 

だって知らないんだから、無いのと同じです。

 

ですから、必要ありません。

 

ですが、本当にそれでいいのでしょうか。

 

そもそも「気」や「経絡」にはなんの興味も無い、というかたも多くおられます。

 

いや、そういう方のほうが多いのでしょう。

 

ですが、気の世界は潜象界といって、現象世界とは表裏一体の別世界です。

 

現象界は目で見えている世界。気の世界は潜んで見えない世界。

 

両者は表裏一体の存在で、気の世界を知らないことは片手落ちになるのではないかと考えております。

 

実際に目に見える世界、数値で表せる世界つまり現象界における理屈、理論ではどうしても説明がつかない事象があります。

 

もちろん鍼灸、整体の世界にもです。

 

ですから、その気の世界が感知できると、世界観、治療を変えざるをえません。

 

とくに経絡治療をされている方は、生きた経絡がそのまま見えるわけですから、治療が激変します。

 

整体治療をされているかたにとっても気の世界はその治療方法を根底からくつがえすほどの衝撃を与えるかもしれません。

 

気の感知技術、古伝の望診法とは、そういった技術なのです。

 

例えば経絡治療は気感が絶対必要

経絡治療ではほとんど刺さない鍼をします。

 

痛みもなく、心地よい鍼です。

 

それが経絡治療の利点でもあり、同時に敬遠される理由にもなっています。

 

まず疑問に思われるのが、「そんな軽い刺激で本当に効くの?」

 

次に、「そんな軽い刺激の鍼で効かせるようになるには、よほどの修練が必要じゃないの」

 

という2つの疑問をよく聞きます。

 

まず、経絡治療は特殊な技術を修得することで接触鍼のみでの効果をだしているわけではありません。

 

極論すれば穴所に鍼を当てるだけでも効果はだせます。

 

もともと皮膚への刺激が目的だからなのです。

 

こう言うと、えっ?と思われる方も多いでしょうか。

 

じつは、皮膚の感覚受容器からの刺激と、皮下組織の感覚受容器からの刺激とでは刺激が脳に伝わるルートも、効果も違ってくるのです。

 

ですから、深く刺す鍼刺激とは違う目的のために接触鍼をしているのであって、深刺しの鍼手法を否定しているわけでも、達人技でもって接触鍼をしているわけでもないのです。

 

当然、深刺の鍼と経絡治療では治効理論も適応症も違ってきます。

 

適応症は8割方は同じなのですが、1~2割程度、それぞれ得意分野が違います。

 

ですから経絡治療の基礎を覚えておくだけでも、治療家としての幅が広がりますよ!

この記事に関連する記事一覧

コメントフォーム

名前  (必須)

メールアドレス (公開されません) (必須)

URL (空白でもOKです)

コメント

トラックバックURL: 
当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

メルマガ登録はこちらから

気と経絡をダイレクトに感知するための望診法メルマガです。登録解除はワンクリックでできますので、ちょっと覗いてみようかなくらいの気軽な感じで登録していただければと思います。

カテゴリー
最新の投稿
最近のコメント
アーカイブ
東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

ページの先頭へ

google-site-verification: googlea0d5fb4a649950c2.html