剣の達人と精霊の守り人

目安時間4分

剣の達人はその技術の練磨もさることながら、

 

実戦の場においては実体に先んじて動く「気」を察知し、

 

その気の起こりをとらえて、先の先、後の先など戦術を瞬時に判断しえる能力を欲した。

 

古来の武芸者が激しい修行の末に神仏に祈ったのは、

 

「気」との一体化であろうと思われる。

 

「気」とはなにか?

 

それは現象と表裏一体で存在する潜象の存在であり、

 

自然の流れを方向づけるベクトル的エネルギーである。

 

その流れにはいかなる達人でも逆らえない。

 

参考:現代に古流剣術を伝える黒田鉄山先生

 

参考:昭和最後の剣豪と言われた国井善弥師範

 

 

さて、ご質問の中に気滞の感知能力を武術に応用できますか?

 

というのがありました。

 

さて、応用できなくはないと思いますが、それは植芝盛平(合気道)なみの達人を目指すという事ですよね。

 

簡単にできますよ、とは言えません(笑)

 

でも、ぜひ目指してください。

 

精霊の守り人

ところで、「精霊の守り人」というNHKアニメをご存知でしょうか?(綾瀬はるかさん主演で実写ドラマ化もされましたね)

 

物語はファンタジーで、ある世界の王子が精霊の卵を体内に宿されてしまい命の危機にさらされます。

 

その王子と精霊の卵を守るために女用心棒(主人公)と呪術師が活躍するというお話しです。

 

 

 

じつはその世界観が面白いのです。

 

サグ(現実世界)とナユグ(見えない世界)で成り立つ世界、精霊はナユグのもので、サグと同じ世界に存在し互いに影響しあっているけれどもナユグは見ることも触ることもできない、という設定です。

 

これって、気の世界と同じ感覚なんです。

 

また主人公である女用心棒バルサは武術の達人なのですが、気の世界ナユグを感知することはできない設定なんですよね。

つまり完全に現象界のみで生きています。

 

対して、バルサの恋人役タンダは医師で、気の世界とコンタクトをとれるという設定。

両極にある現象界と潜象界でそれぞれ活躍する二人が恋人同士(原作では後に夫婦となります)という設定もなにかしら意図があってのことなのでしょうか。

 

その表現方法が面白いので、もし興味のある方はぜひ原作を読まれると良いかと思います。

 

さて、次回のメールで気を感じる「手」の作り方についてもう少し解説を加えたいと思います。

決して小出しにしているわけではありません。

 

一度に言っても、消化しきれませんし、やってみて、体験しないとわからない部分がありますから。

 

とにかく、実践してみてください。

 

ではまた。

この記事に関連する記事一覧

コメントフォーム

名前  (必須)

メールアドレス (公開されません) (必須)

URL (空白でもOKです)

コメント

トラックバックURL: 
当ブログの「望診」について

東洋医学というと、陰陽五行論をはじめ、気とか自然とか、観念論ばかりが目立ちます。

当会での望診で気を診る技術は再現性を重視、既存の東洋医学の理論とは一線を画すものとなっております。

イメージを排除し、あくまで出来るか否か、気とは、経絡とはなにか、その正体を追求します。

メルマガ登録はこちらから

気と経絡をダイレクトに感知するための望診法メルマガです。登録解除はワンクリックでできますので、ちょっと覗いてみようかなくらいの気軽な感じで登録していただければと思います。

カテゴリー
最新の投稿
最近のコメント
アーカイブ
東洋医療技術研究会 代表者名

現代表 勝木れい子(石川県金沢市 鍼灸師)

技術主任講師 吉田宜正(石川県 柔道整復師)

講師 岡田 (大阪府 整体師)

講師 水根 (兵庫県 鍼灸師)

講師 西域 (奈良県 鍼灸師)

 

相談役 古川正明先生(福岡)

記事執筆・メルマガ担当 前沢

会計担当 山田

勉強会風景
古代の望診法とは

古代に存在した「望診法」はダイレクトに気と経絡を見る技術だったのではないかと考えています。

3000年以上前の診察法の言葉に「望んで知る、これ神」という言葉があります。

この言葉は現代では、見ただけで診断ができるのは神様のようなものだ、という意味に解釈されています。

しかし、この言葉がつくられた(約3000年前)当時の「神」という漢字の意味は現代のような神様仏様のような意味ではなく、

神=自然(の気の流れ)という意味であったのです。

つまり、「望んで知る、これ神」の意味は、まず望診で気の流れを見ましょう、という意味であったのだと思います。

ですから、望診は診察手順の第1にくるのです。

四診合算という言葉があります。

望診、聞診、問診、切診の総合評価で証決定をしましょうという意味にとられています。

ですが、古代の望診のあり方を考えると、四診合算ではなくて、四診はその手順どおりに並んでいるだけです。

最初に望診で気の流れを把握しましょう、次に聞きましょう(聞診)、問いましょう(問診)、切(触診)してみましょう、と続いていくのす。

診察の手順としてまず望診ありきで、ここで患者の体のバランスが自然な状態(元の健康な状態)からどれくらい逸脱していて、どこに異常があり、どこが治療のポイントかを把握してしまいましょう、とうのが望診なのです。

ですから、望診というのは、神業だという意味ではなく、通常の診察手段として、最初に来るべきものなのだと考えております。

潜象界について

潜象界とは、現象界の対義語(造語)ですが、現象界は人がその五感で感じ取れる実体の世界のことです。それに対して、現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできない世界を潜象界と言います。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

その潜象界からの情報は現象界で起こっている事象に先駆けて動き、その潜象界の動きが具現化されて、現象界で実体としての動きに繋がっているとされています。ただ、いまのところすべてが仮説であり、それを数値化、もしくは映像化して確認する方法がありません。

唯一、確認する方法があるとしたら、それは人本来がもっている原初感覚を呼び覚ますこと。

この原初感覚は気を実感として感知することが可能で、その原初感覚をもってすれば、潜象界での気の動きを捉えることができるからです。

その原初感覚を使った望診法が当ブログでいう「古伝の望診」なのです。

ページの先頭へ

google-site-verification: googlea0d5fb4a649950c2.html